今週はいい一週間だったか?
毎日いろんなことを考えて書きたいけど、なかなかやる気がでない。
私は今絶賛就職活動中なのだが、極めてお気楽だ。
就職以外の道を与えられ、別に今就職しなくても生きていける、社会の目が気にならない。言い訳ができる。
こうなった時の私の頑張らなさは異常だ。
高校の時も現役時代勉強っぽいことをやって、勝手に自分の物差しで満足し
他の人の現状には目がいく。
常に周りと比較して、現役でうまく行かなかったときも周りの人も上手く行かなければいいのに、、と思ってしまう。
一生懸命やってない自分のことを棚に上げ、他の人も一緒に落ちて欲しいと思ってしまう心がみっともなかった。
これは、じぶんの心に余裕がない。自分が何か頑張っていれば出てこない発想だとおもう。
実際に一生懸命勉強していた浪人時代は周りの友達みんな合格すればいいとも少しは思えた。
いつも何故か根拠もなく、自信があり。いい大学にも通っているために、自分の能力を高めに設定している。でもそれは、できない人をみて、「この人よりは出来る」と思い。出来る人を見ても、「この分野以外では何かしらで優っている」と思い。
圧倒的な人以外上に見ることはない。
しかし、今週。就職活動という鬼門にてその心がズタボロにされた。
グループに分かれ、各自一人一人がお題に対して案を提案するというものなのですが、案が全く思い浮かばない、、、、
周りが答えて行く中、一切考えが浮かばなくなり、周りが二問目に突入しても1人だけ一問目に取り掛かっていた。
そういった状況に陥るのはとても久しぶりで、今考えるとそういった状況から逃げていただけなのかもしれない。逃げる選択肢があるときには逃げてきた。就活も逃げようとしている。
面接講座に招待されても、直前まで準備に取り掛からず、結果的に仮病で逃げた。
準備が苦手だ。『やらなきゃいけないことはギリギリでやる。やったほうがいいことはやらない』のだ。
理想としてやりたいことはいっぱいあるのに、どうしてもテレビやネットを見て時間を消費してる。勿体無い。追い込む環境がほしい。今考えると浪人時代っていうのはとても恵まれた環境だと思う。合格💮だけを目指して一生懸命頑張ればそれでしまいなのだ。
これからは作って行かなければならないのに、手が出ない。
もっと頑張ろう。家に帰ったら勉強できないと思っているのに、ついつい家で勉強できる気がして帰ってしまう。そして、勉強しない。自分を責める。良くない。非常によくない。
そろそろ自分を肯定するためにも、やったほうがいいことをやった行こうと思う。ノシ
曲を作ってギターを練習する
面接の対策をする
本を読む
お金を貯める
統計学の勉強をする。
英語の勉強をする。
頑張る。
自分が思ったことを考えて書く。 あと、今日公園で日向ぼっこしてたら、こんな一切の負い目なく公園で日向ぼっこできるのは今のうちか〜って思いながらEMC聴いてた。ギリギリで生きていたくないからぁ
最近思ったことをだらだらと書いて生きたいと思う。
僕は生粋の「先送り症候群」もうほんとにこれが嫌になる。
だから自由は好きだけど、嫌い。何をやっていいのか分からなくなるから。
やることはいっぱいあるんだけど、まだやらなくていいと思ってしまう。
朝起きるのも家を出る15分前。この15分にシャワーも浴びるから褒めて欲しいものだ。
今日ちょっと早めに家を出たらとても心が豊かになった。イライラしない。時間という縛りに人間はイライラしてしまうんだなと思い。
時間的余裕がある人=心に余裕がある人
なのだ。
頑張って時間に余裕を持つのが目標。大人になる。
やればいいじゃんと思うのは簡単なんだけど、実際にやるのが難しい。このネット社会のご時世、誘惑が多すぎるんじゃあ。
気づいたらYoutubeを永遠と見てることある。
あの日はほんとに死にたくなる。
一切面白くもなんともない素人のYoutuber達の動画をボーッと見ている。これほど人間史上無駄な時間はない。せめて本読むなり、漫画の方がマシだ。
最近はYoutube禁止令を自身に課している。どんなに面白いサムネでもYoutuberの動画を鼻で笑い開いたら負けだと自分といつも格闘している。
自分の中で、テレビ>テレビで放送されたYoutubeの動画(マネーの虎、リンカーン)>Youtuberの動画という位置付けなので、何としてもYoutuberの動画を見るのはプライドが許さないのだ。
私でも考えつきそうなことを動画でやって、大した芸もない、顔もかっこ良くない奴らが、ワーキャー言われて金男稼いでるのが気にくわない。嫉妬だ。
Youtuber早く消えろ。ほんと気分悪い。今すぐYoutubeの広告収入がなくなって路頭に迷え。僕の視界に入らなきゃ構わないから。メディアに出るな。Youtubeやるな。
こういう嫉妬もあるからYoutubeは見るべきじゃないんだな。でも動画配信者でも何人かは私にも好きな人はいる。
①うんこちゃん(加藤純一)
まず話が面白い。人に一切媚びない姿勢。他の人が聞いてるかもなんてリスクを考えず、自分の欲求のまま言いたいことを言って生きている。言うこともその時の感情によって大きく変わって面白い。特に男女の違いについて語る姿が勇ましくて面白かった。本当に周りを気にせず、やりたいからやっているを貫いているのは本当に憧れる。「嫌われる勇気」という本を具現化したような人。
②瀬戸弘司
なんかおもろいおっさん。いろんな新しいもの紹介してくれるし、陽気だから好き。
③かすちゃん
可愛いから。可愛いが一番いい。
明日は最近好きなものをかこーっと
『運動部の墓場』から軽音楽部へ ②
先日書いた
『運動部の墓場』から軽音楽部へ ① - さむしんぐ〜何かしら〜
の続きです。明日書くといいながら何日か経ってしまいました。
圧倒的な敗北を味わい、華のサッカー部でのデビューに失敗した私は部活動探しの路頭に迷いました・・・
そんな時、友人がバレー部の仮入部に行こうと言われなんとなく付いて行くことに、、そうこのバレー部こそが「運動部の墓場」と呼ばれているのである。
華型の運動部であるサッカーやバスケなどをやっていたが、高校のレベルには付いていけず、けれども運動はしたいという死者達が集まるのが、そうここバレー部であるのだ。
私は流れ着くべくして、流れ着いたこの「運動部の墓場」で境遇が似ている死者達と夜な夜なロッキーホラーショーを繰り広げる覚悟は出来ていた。入部をした。
活動内容もさすがのロッキーホラーショーだ。体重が重すぎて、立っていたくないと理由で一切部活に来ない顧問。唯一優しく憧れていたキャプテンは突然音信不通になり、退部。おかげでのさばっている死体達の中でもイケている先輩死体が調子に乗り出したあたりからロッキーホラーショーの居心地は良くなくなっていた。
居心地の悪さを感じていた矢先。死体の僕に、ある友人から神の一言がかかった。
「バンドやらない?」「やる。」
即答であった。そうか、運動ではない。文化系の道が私には拓けたのだ。その光はあまりにも眩しく、暖かかった。
数ヶ月かは軽音楽部とバレー部を掛け持ちしていたのだが、バレー部の死体先輩に「バンドやってるとかバレー部舐めてるの?」と言われ秒で辞めた。死体先輩は文化系として現世に舞い戻った私が気に食わなかったのだろう。ミーティングで「俺はセフレがいる」という至極どうでもいい話を後輩に聞かせ、自分の自尊心を保ってた死体先輩。元気かなぁ・・・。
バンドを始めてから僕の学生生活はなかなか華々しく、文化祭ではデカイステージで演奏し、翌日には他のクラスの女の子からも声をかけられるほどに華々しかった。
ロッキーホラーショーを続けなくて心からよかったと感じております。しかし、運動部を辞めた時の父親の少し悲しそうな顔は忘れられません。でもね、パパ。しっかり部活で汗水垂らして頑張ることは確かに高校生活のかけがえのない思い出になると思う。
けど僕がやってたのは
バレーボールという名のロッキーホラーショーなんだ。
今度は恋の思い出なんかも書きたいと思います。ではでは。
先週のお題「部活」
『運動部の墓場』から軽音楽部へ ①
僕の高校時代の部活動の話をしよう。
私は高校生活を華々しく飾るべく、まずサッカー部の体験入部へと向かった。
何と言っても私は小中とサッカーをやっていたからだ。
私は驚いた。その高校サッカーというもののレベルの高さに...。私の顔立ちが運動神経が良さそうなので、ボールを触るまでは同級生に牽制されたものだ。「お前、ぜってえサッカーうまいべ。俺そこまでだから一緒に仮入部したくねえわw」と同級生に言わしめるほどだ。私も満更でもないように
「いやそんなことねえよw(ドヤ)」。調子に乗っていた。
実際プレイするとどうだろう。周囲のガッカリ感が半端なくヒシヒシと伝わってくるではないか。「まぁ、一応レギュラーで5年間サッカーやってきましたww(ドヤ)」と言っていた数分前の自分を殴り殺したくなった。
実力が追いつかないのはそのはず。市大会2回戦負けの弱小チームのレギュラーの能力などたかが知れているのだ。
こうしてサッカー部の仮入部は幕を閉じた。帰りに同級生は一切口を聞いてくれなかった。めちゃめちゃ独特の気まずさが二人の間には流れており、調子に乗らせたのはお前だぞ?と思いながら電車に乗って帰ったのを覚えている。
一切会話がなかったのは嘘であるが「いや、お前も結構うまかったよ?」と言われた。気を使われた。
「いや」ってなんだよw
下手なの前提でフォローすんなw
こうして部活動の花形「サッカー部」への夢はついえた。
次回!サッカーという運動を取り上げられた私。迫る仮入部期間!一体何部へ!!??
「ついに入部を決意!『運動部の墓場』とは!?」
明日書きまーす。誰か読んでください。ついに「運動部の墓場」とは何部なのか明かされます。お楽しみに〜
今週のお題「部活動」
「バンドやってて生活できないなんて意味ないじゃん!」を読んで
皆さんは「どついたるねん」というバンドをご存知でしょうか
普通歌を作るという過程を行う時に、自分が思ったことを膨らませて、削って、清書して形にすると思う。歌ってそういうもんだろって思っていた。
しかし彼らの歌う歌は本当に心の中から溢れ出る言葉をそのまま放出してる。
清書なんて一切しない。
彼らが気に入ったフレーズや音を大事にして、そこの中に本当の人間の心理なんかがむき出しで伝わってくる。「俺たちは好きなことをやってる。見たい人は見ればいい」という信念を感じて、人に媚びない姿が本当にカッコいい、一切かっこつけない様がカッコいいのだ。全然売れていないのに自信があって堂々としている。人が楽しんでるのを見てると自分も幸せになるそんな感覚に近い。
LONG HOT SUMMERという曲に「りんごジュースうめぇ」っていう歌詞があり、その後「そうでもしねぇと愚痴っぽくなる 暗くなる暗くなる ヤバイよヤバイよ 」と続く。本当に心からの叫びだなと改めて思う。りんごジュース飲んでうめえって思うし、暗くなるとヤバイいと思う。それが人間だしソウルだ。心を全裸にさせて歩かせているような歌詞。
「生きていれば」という歌がある。
ひたすら生きていればいいことがあるよと伝えている歌だ。それしか伝えてない。けれどもエネルギッシュで、本当に生きていればいいことあるんじゃないか?と思わせてくれる。
成功者の立場から「生きていればいいことあるよ」と諭すのではなく、歌っている本人たちが「生きていればいいことある」と自ら歌い続け、信じ続ける。そうでもしないとやっていけないそんな状態で歌う「生きていればいいことある」というフレーズは前者とは大きく違い、とても生命力を感じる歌である。ぜひ皆さんも聞いて見てほしい。
どついたるねん - 生きてれば @ ユニバースタジオジャパン
さて本題だ。この本はそんなどついたるねんが日本列島47箇所を一筆書きでライブするライブツアーについて、メンバーがリレー形式で書き、同時にそのツアーでの収支を事細かに記載しており、バンドの実態を知ることができる一冊である。
バンドやって生活できないなんて意味ないじゃん! 47都道府県をひと筆書きでまわるジャパンツアー日記 (幻冬舎plus+)
- 作者: どついたるねん
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/07/29
- メディア: Kindle版
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「音楽しかしなくていい環境」に置かれた彼らが何を考え、どのような心境の変化が生まれたか、何を得たかを記載している。
ドラムの浜やボーカルのワトソンは、バンドメンバーとは「友達」という関係ではやっていけないと作中に語っていた。バンドではただ単に楽しく演奏するだけが仕事でなく、他の諸々の作業はある程度ドライな関係じゃないと余計な苛立ちを感じてしまう。音楽>友達 と認識し、割り切って活動しなければ変な迷いが生まれると語っていました。ともに生活をする時間が長い「バンド」だからこそ導かれた答えだと思い、自分から見たらただの仲良しバンドもそういった一面も持っているのだと知り、驚きました。
また、ワトソンが「アダルトビデオに出ようと思って出ているのではなくてそういうことしかできない」「目的がないから、お金が欲しくて援助交際する女の子よりタチが悪い」と述べていて、自身の目的ではなく乗っかって何か行動を起こすことは、「どついたるねんAV出るなんてトンがってる!」「面白いことをどんどんやってて凄い!」と周りに思われてプラスに働いていたとしても、そこに目的がなかったらタチのわるい事と断言している姿に感心して、そこにワトソンの攻めの姿勢を見た。その後彼がバンドでの目的を見つけたと語り、それは「車が欲しい」だった。あまりにも平凡で社会人の金を稼ぐ目的のような回答に、バンドマンというよりも人間らしさを感じた。
またワトソンの一節で「自分のやっていることがすぐに想像できたり、ちゃんと言えたりするのはつまらない」とある。この一節に酷く共感した。よく人やSNSを見ていて何考えているのか言葉を交わさずともすぐにわかっちゃう人には全く面白みを感じない。私はつまらない人間にならないために日々思考して、行動を起こしていかなければいけないと思い、まず思考を働かせるためにもこのブログを始めた。
なんか人間としても面白い彼らの中身が少し垣間見えるこの一冊是非読んで見てください。バンドのファンでなくても十分に楽しめる内容でした。
まあぼちぼち頑張りますか。
少し前の話、年明けに中学校の友達と飲む機会があった。
そこで思ったことを述べようと思う。
宗教の関係で、地方に修行しに行っていた友達A
Aとは本当に久々に会えたから嬉しかった。
なぜか"乾杯"はできなかった。理由はわからない。宗教っていろんな事があるから聞けなかった。察したように乾杯はしなかったけど理由が聞きたくて仕方なかったことを覚えている。「自分の立場だったら聞かれたら嫌か」と自答し、聞いても嫌ではないと思ったが聞けなかった。やはり日本に置ける宗教の話は中々踏み込みづらい、、、。
友達が明らかなキリスト教だったら、堂々と「キリスト教って〇〇なの?」って聞けるが、日本の新興宗教に置いてはその作業が行えない。行いづらい。宗教について聞きづらい。
飲み会の中で近況を話し合い、みんなだらしないなという話の中で Aが「まあ俺は宗教やってんだけどな!笑」と自虐気味に言い放った。
その瞬間みんな何も言えず空気が固まった。
なんていうんだろう、Aも周りが気を使って宗教に触れてこないことに"違和感"を感じて周りに気を使い、良かれと思って言った言葉だったが笑えなかった
その気遣いが余計に場の空気を悪くした。決して自分の信念だったり大事にしているものを自虐的に使ってはいけないのだなと気付かされたのだ。それは自分に嘘をつくことで、周りも望んでないことだと。
そんな気を使った「自虐」を笑ってくれる友達なんか、友達をやめたほうがマシだ。
またその飲み会は、親が離婚した友達もいた。苗字は変わったがあだ名は変わらず「こば」
「こば」の彼女も飲み会にいたが、その彼女は「こば」を僕の知らない苗字で呼ぶ。私たちが無為意識に「こば」と呼ぶたびに、独特な気まずさが現れた。
でも俺たちにとっては「こば」は「こば」なんだ。
あの独特の気まずさは感じた事がなかった。
いろんな事があった飲み会だったけど、昔話を集まってみんなでする瞬間っていうのは本当にかけがえがなく、本当に幸せだった。
しかし一つだけ良い気分しない事があった。
自分はあまり運動神経がいい方でなかったから、中学の同級生は必ずいじってくる。
正直「こば」はそこまで仲良い友達と言える位置付けにもかかわらず、ガンガンいじってきた。その時だけ腹が立ったのを覚えてる。そして「こば」は私よりも運動神経がよくない。無性に腹が立ったが彼の彼女も同席していたから、突っ込むことをこらえた。
その怒りをココにぶつけたい。
お前そこまで仲良くないからな!!!!!!!!!!!!
お陰で自分が怒りを覚える基準がわかった。いい奴だと思っていたやつに「〜するからお前も来い」って命令口調で言われた時、人を探してる時に「俺ここにいるから探してきてよ」と命令された時にもイラっとした。あと初対面で「お前」って言われた時も殺したくなった。尊敬してない人に舐められるのが本当に嫌い。
自分が好きでない人に いじられる・上から来られる・命令される・気を使われない・ナメられる とき
に腹が立つと知った。
p.s.
自分が人を好きになる3つの基準
- 話が面白いかどうか
- 人に本当に優しく出来る人かどうか
- 行動が面白いかどうか
だと思う。このどれかに当てはまれば好きになる。尊敬できる。
行動が面白い人は1か2どちらかも兼ね備えてると思っており、面白い行動を意識的に起こせる人は本当に話が面白いし、天然で面白い人は本当に人に優しい。
仲良いやつに本当に優しくない奴がいっぱいいるけど、そいつらは本当に話が面白い。人を馬鹿にして生きている。スレて生きている。そいつらの吐く毒は僻みや嫉妬、ネットで自撮りをあげるような馬鹿な奴を本気で馬鹿にしていて清々しい。
それを公の場で言えば、リア充な真っ当にスレることなく生きてきた人達に淘汰されるを分かっているから絶対に口にしない。めちゃめちゃ馬鹿にするのに気を使うというこのアンバランス加減が本当に面白い。
モチベーションが上がらない
今まで、常に受け身で生きて来た私だが、就活という節目に差し掛かり、主体性を取り戻さねばならないが、いまいち難しい。
クソだ。
しっかり予定帳にやりたいことを書き尽くしたが、実現されたのは一つもない。
しっかり頭を使って行動したい。いつもぼーっと見てられる動画などに心が向く。
いつまで受け身でいるつもりか?動画なんてただ見てるだけでなにも得られない。
何の意志もないこの行動を戒める。