インザハイツを観て。と近況
お久しぶりです!
最近映画をよくみけど、思ったことを書けないから匿名を活かして好きなこと言おうと思う。
インザハイツを見ました!
最高に面白かった。今年1番かもしれない。
めちゃくちゃに泣いた!!!
すごい明るいcarnaval del barrio って曲で泣けた。
いろんな課題はあるけど、何も解決してないけど、
みんなで一緒にこんなことできるのは今しかないんじゃないか?とりあえず今を楽しもうよ!ってメッセージがあって!
すごい自分の考えに近くて共感できて気づいたら泣いてた。
『変化は永遠に起こり続けるから、それを憂えずに楽しめる今を無駄にするな』
課題については。あとは個人の人としての力で何とか乗り越えればいいだろ。
発言の一端を捉えて『考えなしでお気楽に生きて、何も意見がない人』として彼女にみなされてたってことがあって、めちゃめちゃに腹が立ってそんな一部で人を判断するなんて愚かだし、失礼だ。
俺は今を生きることに興味があって確かにそれ以外のことについては勝手にやってくれって思ってしまう方だとは思う。意見があっても自分の中においておいて。
全部に自分なりの意見を持って発言することは、両方の意見を全て知ってからじゃないと容易に発言できないと思う。だから中立の立場をとって何が悪いだと思う。当事者でもないし。
それでも。もっと深く世の中のことを知るべきだと判断思わされた。ムカつくけどね。
しっかりと30代の大人として世の中を捉えよう。
毎日新聞しっかり読もう。嘘をホントにしよう。
彼女によって自分の知らない一端が見れたりだとかはよくある。自分を知るために彼女もいるって言っても過言でもないくらい気づきがある。
あと相手が熱量込めて喋ってることについては、大した考えがない限りは、控えた方がいい。相手の気持ちをもっと慮るべき。でも意見がある場合に、感情剥き出して怖い顔で伝えられてもあんま聞く耳持てない。あんな口論したのちに、夜を共にすると変な感じ。
というか、彼女とそんな自分の政治的考えや、信仰みたいな話したくない。楽しいことを共有して、悲しみを分かち合うだけじゃダメなの??
すごく居心地が悪いことになりそう。
そんなことよりインザハイツの素晴らしい点は。
①みんなには夢があって、それは大なりや小なりあるが、夢を持つことは素晴らしいこと。夢を持つべき。
②当たり前に送ってる世の中は当たり前じゃない。その恵まれた基盤からさらに羽ばたかないとだめだ。
③明るい音楽に乗って、映画でのメッセージを伝えるのはすごい有用な手段で好き。明るい方が聞く方も聞く耳を持つ。タイカワイティティも似たようなこと言ってた。伝え方の手段ってとても大切。
④良い隣人を持つべき。ホームはどこだ?
⑤簡単に追い出されたり、引越していく拠点であった今回の町。そこは実態がないものとして、みんなが各々故郷を憂うけど。そこがルーツであるソニーにとってはそこがホームだと伝えていたが、結果的にウスナビもそのことに気付かされる。みんな現状を憂うのではなく、受け入れた上でそこからどうするか考える。新しい文化の拠点。いろんな人種が入り乱れる。ルーツなんかじゃなくて自分が誰か。どうしたいかをしっかりとみんなが伝え合ってて素晴らしかった。
チリドミニキュリカン!!!でふぉーーーってなった!
⑥音楽とダンスは自由でホントに好き
⑦自分の国に誇りを持っていてカッコいい。自信に満ちてる。日本では右翼とされたりして、愛国意識は低いと思うが、少しでも好きなところを見つけ行こう。
⑧自分は裕福で、特に不満もなく生きている。そんな特別な環境でさらにその上を目指さないのは愚かすぎる。
「割り切り」と「憎しみのクラウドファウンディング」
そんなわけで,社会人になったわけで。
リモートで開催された新入社員研修.「今週のお題!」と課題を出されて淡々とこなす。これもこれでいいんじゃん。こっちはラク。
でも社員はみんな気遣って「新入社員なのにいきなりリモート可哀想・・・」って言われるから可哀想な顔しとく、「そうっすね、しんどいっすね」って顔しとく。
なんか新入社員のうちから目立つために、質問かましておくか!とも毎日思っては、めんどくさくてYouTube観て。「あれだな、こんな媚を売って評価されずとも実力で評価されればいいもん!問題ないもん!」と言い聞かせて納得させて寝る。
色々と割り切ることが多くなった。
自分は割り切りの名手だという自負がある。
例えば、セールで靴を買いすぎた時も「靴っていつか買うものだし、向こう2年靴買わないと思ったら問題ない」。
「明日は朝ランニングして、英会話もして、夜は曲とか作ったりして充実させるぞオ!」とか思ったりする。何もできていない夜に「いや、何でそんな頑張んなきゃいけないねん」と簡単に割り切ることもある。様々な粗さの割り切りがあるが、精度がいい割り切りが出たときには自分の中で荷が降りる感覚で心地がいい。
でもこの割り切りの弊害が生まれている。何もやらないことを正統化しようとし、なにか生み出そうとしている人に対して
「たのむ、、、成功するな!成功するな!」と思ってしまう。
『よし、成功してないね。
ほーらね!やっぱ何もやらなくてよかった。』
と安心したいのだ。しかし何かしようとした人との間には経験という目に映らない成果が蓄積されているのに、自分と一緒だ!と思い込んでしまう。
この何かしなきゃなっていう感情は研究室の時よりも強くなってきた。ある種「仕事」っていうおんなじ荷物を背負いながらも工夫して何かを成し遂げる人がいるから焦る。前は研究を言い訳にし、割り切って焦らないようにしてたけど環境が変わって焦る。
でも何かすることに邁進するのではなく、割り切りの精度が上がってきてしまっているから客観的に制御しなきゃ。
誰も応援できないウチは自分の現状に満足してないことの裏返しだと僕は思う。そんな自分は嫌いだ。
話は少し変わるが、そう言えば最近。客観的に何か頑張ってると見られるクラウドファウンディングを立ち上げた先輩には何とも言えぬモヤモヤを抱えた。
クラウドファウンディング最終日を迎えて全然達成の気配がなく、僕は「ふーん。まあ需要ないよな。なんかやるのも大変やねぇ」とお得の安心を獲得しようとしていたところ、5年くらいLINEのやりとりがなかったその先輩から、クラウドファウンディングのこと。お金が足りないから支援して欲しいとの旨の連絡を受けた。そのLINEが来た時の戦慄とした空気感をまだ覚えている。この感情忘れてなるものかと思いスクショも撮った。
・・・ヤクザ。そりゃあ、ヤクザだぜ、、。
ほんとに共感して良いなって思ってたらもう支援してるわ!『クラウドファウンディングに協力して!』って聞こえは良いけど、結局相手が興味ないものに金を要求するってやってること変なマルチ商法だし、なんか支援しなかった方が悪って言うような環境。逃げづらい環境に自分の都合で相手を追い込んでる。まじでヤクザ!
なんか誠実じゃないと言うか。良心に訴えて金を巻き上げる。
まじで最低!って思いながらもそのたった3000円でその人との縁を切るまでのことでもないかなって思い支援してしまった。こんな応援できないクラウドファンディングがあって良いのか、、、。
きっとこの世の中にはそんなクラウドファウンディングが数多あるとみんなの頭のどこかに置いておいて欲しい。
簡単に言うと、『権力が強い同期の友達が企画する誕生日プレゼント用のカンパみたいなもの。』を想像して欲しい。さらに今回の場合は自分でそのカンパ企画して、自分のプレゼント買おうとしてんの!!どう!?みんな!どう!嫌じゃない!?最低でしょ!?
その後LINEで支援しました!と連絡。感謝の文と最近何してんの?って返信。ぜってぇ興味ねぇだろ。殺す。と思いながらも「〇〇ですね!!」と明るく最高の後輩で返信。
その後、返信はない。殺す。誠実さのカケラも感じない。傲慢。
こんな人でも成功した人の顔できるなら僕でもできるわ。うん。頑張ろかー
まあ僕の近況はこんなもんです。まじ言いたいことも言わないポイズン。
修論もひと段落だから映画見た。
まずポンジュノパラサイト
これはもうほんと凄いとしか言えない。天才。格差社会を見せられたけど、やっぱり自分は裕福になりたいなっておもった。優雅に暮らしたい。暮らしが人格を作ると思う。
服がその人を作るっていうのをこないだのディスコでかんじた。背伸びしてでもかっこよく生きたい。
さよならテレビ
からもまた面白かった。テレビは国の監視機関としての役割を自負してるけど、結局視聴者がいないとその役割は果たせないし、さらに視聴者はそのジャーナリズム精神を求めてる人が少ないというジレンマ。
みっともなかった自分が。小難しい話として1視聴者として蓋をしてたと思う。やっぱり、情報は自分から集めに行かないと拒絶しちゃう。無知を恥じてもっと教養を身につけないと。
あと弱いロボットの話がすごく刺さった。
人間弱さを見せた方が人間らしい可愛い。って。
弱さは強さなんだよな。結構その通りだと思うけど、弱い象徴だった渡邊くんが救われてないからなんとも言えない
m-1アナザーストーリー
やっぱり涙が出たのは誰かに優勝を喜んでもらってるシーン。
応援されたいな。わかりやすく応援できる環境づくりも大切。
ノルウェーに行ったんで
教育機関がお金を出してくれて、ノルウェーサマースクールに10日間ほど行ってきました。
結論
気づき
- ノルウェーサマースクールでは英語が必須で英語でのコミュニケーションを楽しめる人、楽しもうとする人と嫌がる人、何も変わらない人がいた。
- 一緒に行動する上でコミュニケーションを嫌がる人の都合で、席が近くなったり、群がってきたりするとほんとに嫌になった。邪魔された気分。そんな人に配慮できるほど余裕もなかった。どんどんそいつらが嫌いになっていった。
- あと海外というフィールドにおいて日本人とそれ以外とかそういう括りになる訳で、おんなじ所属なのにも関わらず、授業中に漫画とか読まれるとほんとに嫌だった。社会性がないなって思った。
- 意外と全力で喋ろうとすると汲み取ってくれる。自分のスキルより、周りの抽出力が上がっていった。
- ウクライナの女性達と仲良くなって頻繁に遊んだり話したりする上で、「もっと面白いこと言えるのに!」「なんていえばいいのかわからない!」とか思った。悔しかった。一番は何言ってるのかわからないで愛想笑いするのがしんどかった。
- 英語聞けるようになりたい!
- 英語喋れるようになりたい!
⇨でも社会に出て使うのか...???この葛藤。
- ウクライナ人かわいい、綺麗、自立してる。
- 自分は自分にとってのコンプレックスを平気で乗り越えている女性に惹かれる。英語に圧倒的コンプレックスがある中で、英語が喋れる女性は凄いと思った。
⇨圧倒的に自覚できるコンプレックスを見つけは必要がある。
- コンプレックス
- 英語できない
- 明るくない、社交的なわけではない。損得で考えちゃう。
- 何かに詳しいわけでない。浅い。ある物事に喜んで時間を割けるほど熱中することがない。
- なにかアウトプットしてるわけでない
- やっぱ女の子を笑わせたり喋ったりする事でストレスが軽減する。まじで楽しい滞在だった。
国
- ノルウェーいい国。ゆっくり生活してる。
- 物価高い、だから水筒とかみんな使ってる。結果的にエコ。経済が回りやすいかはわからないけど。
- 自然が多い。深呼吸したくなる。夜は寒い
- 卒業した後20日間変な文化があるらしい
- カラオケがダサかった。でもそれはそうとその限りにおいてみんな全力で楽しもうとしてた。
- ホームパーティは寮の外にランチョンマット引いてやった。
生活
- 毎朝サーモン食べた
- 質問は英語で投げかけられるけど、それを膨らませられない...情けなかった。何言ってるか聞こえなかったりする
- 夜は0じ前には寝て、朝8じくらいに起きる生活は良かった。しっかりと寝ることは大事。あんまり携帯を使わなかったのがいいのか。とにかくストレスフリーな生活だった。
- 夜に紅茶飲むのが最高に幸せだった。
- 最終日近くなるとやっぱりガス抜きというか、この生活の不満をバーーーって喋って、みんなおんなじこと思ってるんだなぁって思った
- もっと堂々と生きていいなって思った。海外の人は自信がある人が多く、やってることにプライドがある。意欲がある。
- インスタとかも自分ばっかでいいんだよ。堂々と生きよう。周りを気にすんな。
最近思うこと
やっぱ周りが社会に出て思うことは一つで
「暇だ.遊んでくれる人がいない...」です.
ほんと切実.これ今後忙しくなってもこの孤独感って忘れちゃダメだと思う.
自分自身あんまり先の予定を作りたがらないけど,もうそれじゃあ誰もあってくれなくなった.切ない.
自分勝手じゃ生きてけないのよ.
一人で生きてける気がしたけど,無理だ.人が恋しい.
この気持ちは忘れては行けないと思う.
「フィフティピープル」という本を読んだ.
五十人の短編で,みんなが絡み合う物だけど.二人なぜか共感できる人がいた.
一人は,「容姿なんかなんの保証もない,自分の長所をしっかりと持ってそこを伸ばす努力をしないと!」という言葉に感銘を受けるイケメン.しかも孤独を感じ,母親と頻繁に映画を観に行く.
確かに,自分も長所を伸ばす努力をしたことがないし,現に今孤独を感じ,必死に今という空間を置いてけぼりにされないように,埋めてる.夜中まで,イベントや体験を調べて,明日することを探してる.自分の身となり骨となる何かが欲しいから.
二人目は,妹ばかりえこひいきされて,育った女性.その中で「自分の子には容姿を褒めることも貶すこともしない.どういう影響が出るかわからないから.」と言っていて,誰かが言っていた「自分の努力でどうしようもないことをいう奴は卑怯者」という言葉を思い出した.
この本を読んでいて,ふと自分の子供をどういう信念を持って育てようか考えた.
結果,「人に感謝して生き,驕らず人を愛すること」「積極的に討論させる,自分の意見を持たせる」
一つ目は自分にはできてないと思う.ゆえにこういう性格になった.
でも最近,自分の孤独を感じることで,人を愛することができるようになってきた気がする.もっと猛烈に自分の存在を脅かす何かに挑戦し,自尊心を削ぐ必要もあると思う.
なるほど,昔の自分には「挑戦」が足りなかったのかもしれない.
この女性の話に,「もらえないものは諦めて,元から欲しくないと思い込むようにして自分を守った」という言葉があったが,近いものを感じた.鼻から挑戦を諦める癖がどこかで付いていたのかもしれない.
もう一つ印象的な言葉が,
「大人になるにつれて,友達が増えていったけど,それもどんどん会えなくなっていく.過去に食われていく.会いたくなっていくわけではないが,会う機会が減っていく.だからお互いに努力して会うしか無くなっていく.」
まさに,今実感していること.やはり会えるように努力もしなきゃいけないみたい.
自分の都合では会いたい人には会えない.
驕るな自分.愛せよ他人って感じです.