さむしんぐ〜何かしら〜

映画とテレビと本と旅と日々のいろいろをつらつらと述べます。写真も撮るよ。

五月末まとめ

メモ:5月28日〜

○映画

恋は雨上がりのように

何かに一生懸命になるのは眩しい。未練を残すって言うんじゃなくてまだ執着している。陸上、執筆を捨てなかった勇気。執着。

やはり節度を持った大人はかっこいい。でも相手の気持ちはどうすればいいのか。難しい話かも。

自分も目を輝かせてドキドキしたい。全部捧げられるような人。

監督失格

死んだav女優に関する作品とともに、監督と女優の思い出を振り返り、最新作を撮ろうとしたところ死んでることが確認され、死亡が確認された瞬間の映像は止められてたが、5年後公開していいことになって、監督が編集を始めるのだけれど、なかなか気が進まない。よくよく自分の気持ちを考えるとこの最後の女優との作品を完成させること=女優との別れ だと感じていることに気づき。泣きながら「お別れしたくない」と言うシーン。

「死んだら忘れられちまうんだぞ」と言う女優の母の言葉。やりきれない母親が生々しかった。本当に「どうして」って言葉が前のめりで、救ってやれなかった自分を責める感じ。言葉にできない感じ。言葉にすらできない。悲痛。「人間は二度死ぬ。死んだ時と忘れられた時」

 

関係ないけど

自殺はそれまで信じて助けてきてくれた人の全てを裏切る行為。人に迷惑かけたくないって死ぬ人が一番迷惑でわがまま。一方的だし。ずるい。死ぬなんてずるいって言うのはそう言うことなのかな。

 

○漫画

恋は雨上がりのように

映画同様の終わり方。映画の方が好きだった。まだ二人が前向きにくっつく可能性を残しながら終わった。

・本

十角館の殺人(途中)

・映像

ドラマ:宮本から君へ

「自分がかっこいいと思うものをそうじゃないっていう人間に認めさせたいです」

 

モノガミーのドキュメント

人類は農地を持つようになってから、自分の領地をしっかりさせ、モノガミーになっていった。繁殖は本能だが、結婚は制度だ。罰せられるのはおかしい。女性は一人の男性に尽し養うことで、金と食事を見返りとして受けた。モノガミーなのは人以外にいない。制度によるこの仕組みは歪みが生じているのかもしれない。モノガミーの歴史は浅く数百年。ある部族では、モノガミーは存在せず、部族の子供として皆を愛する。自分の子はわからない。あらゆるものを子育ても共有している。ちんこは他のものの精子を書き出すためあのような形状になっており、後半の人が有利らしい。

 

・日常

今が楽しければいいっていう信念を持っている。人それぞれでいいの?心配するのはお節介なのか。それはそれでいいのかもしれない。でも心配。

 

某社に内定をもらった人に、某社の経営がやばいニュースを見て「某社って経営大丈夫?」って言いそうになった。相手が嫌な気持ちになるに決まっているのに思いやられなかった。なんでこんなこと言おうとしたんだろうか。嫌いな人でもあるまいし。

 

ありのままの言葉を言うのはとてもこそばゆい。人間みんなありのままの言葉を何重にもおおって言葉を発する。ありのままを言える人になりたい。恥ずかしくない。