さむしんぐ〜何かしら〜

映画とテレビと本と旅と日々のいろいろをつらつらと述べます。写真も撮るよ。

アーティスティック。

僕は最近アートというものを知った。

訳あってアートの現場でボランティアをしたんだ。

 

アートっていうと正直なんかよくわかんないもの作って、よくわかんない人がよくわかんない評論下して、それが巡ってるもんだと思ってた。

 

 

 

 

 

.....その通りだった。結局その通りだなぁ

 

でも見方がチト違う。それはよくわかんないものなんだけど、それに対して考えを巡らせる揺らぎが楽しいんであって、理解できないものを理解しようとする文化なのかなって思いました。

人間全部わかっちゃうとつまんないし、好きじゃなくなると思う。

それが人間で、でも答えが知りたいの。

 

答えが出たら気持ちいし、ストレスから解放される。でも一番はその過程が楽しい。

アートはその過程をずっとやっている感じ。

 

なんかみんなと話をする中で理解できない行動を取る人に対してイライラして、「なんなのあいつ?空気読めないし、モラルない」ってなるけど、

アートはモノだ。どんなに理解できないものでもイライラしないし、怒ったりしない。時折「何この絵。つまんな、意味わからんわ」って思考を放棄して馬鹿にする愚か者がいるけど、自分が愚かって言ってるようなものじゃないか、気づかない。しかもその強く、人に気が使えない発言でなんとか優位に立っている気がする。下に見た発言をすることで上にいると錯覚する。上なんてないのに。偉そうに威張ってる奴が偉く見える感じがやだ。

こうやってあいつは愚か者だって言っている自分が一番そいつを見下しているのかも。

だから愚か者って言わないで「威張りんぼう」って呼ぶ。あくまで個性。

 

まあ「威張りんぼう」は嫌い。好き嫌いは見下すとかじゃないから良いと思う。

威張りんぼうがいるグループにはそいつを取り囲み、中心というものができる。だから中心があるような団体は好きでない。独立して相手を尊重した関係が一番健康。でもなんか相手のこと尊重できてない人、自分の話ばっかりな人は好きでない。でも威張りんぼうじゃないそいつは可愛いから愛せる。

 

 

そんなことじゃなくアートだ。アートの現場には威張りんぼうは来ない。来たらやだ。平気で傷つけそう。それくらい脆いと思うアートは。そう僕は考えるけどアーティストはそんなの気にしないくらい自分の道を行ってるから傷つかないかも。サラッとかわしてみせると思う。実にかっこいいだろうな。

アートは理解出来ないものであっても、人でない為にイライラしないので伸び伸びと理由を考えられる。これが客観というか自分とは切り離されたものであるモノとしてあるから成せるものであって、これが自分と同じ社会に影響し合っている人間という存在であるから人にはイライラするのではないのだろうか。

 

だからアートは健康って話。